日本よ、どうなる!?

石原 慎太郎 Shintaro Ishihara

石原 慎太郎(いしはら しんたろう、旧字体:石原 愼太郎、1932年(昭和7年)9月30日 – )は、日本の作家、政治家。

ベトナム戦争を取材した経験から政治家を志し、田中角栄の金権選挙を批判。

1968年(昭和43年)に第8回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬、史上最高の301万票を集めて初当選。

1972年(昭和47年)、第33回衆議院議員総選挙に当選、衆議院に鞍替えする。
1973年(昭和48年)、田中角栄による中華民国と国交断絶し、中華人民共和国と国交を結ぶ『日中国交正常化』に反対し、反共を旗印に政策集団「青嵐会」を結成。

沖ノ鳥島に視察上陸し、シマアジの稚魚を放流等、島嶼防衛・尖閣防衛について度々言及している。

尖閣諸島について、江藤淳との共著(2004年)において次のように記している。
「尖閣列島周辺の海底に油田があるという話が持ち上がって以来、次々と妙なことが起こった。返還前のことですが、米国の石油メジャー会社が、時の佐藤首相に、外相がらみで自分たちによる試掘を持ちかけてきた。佐藤首相は自国日本のことだからといってそれを退けた。すると彼らは、同じ話を台湾と北京に持ち込み、「あの島々は本来なら中国の領土の筈だ」とそそのかした。」

2009年、石原は、日中科学技術文化センター会報に掲載された対談にて、尖閣について日本の主権を棚上げにした上で共同開発すべきとの見解を示した。

2010年、5月27日の全国知事会には、米国が尖閣防衛に消極的である例を示した上で「日本の領土を守らないなら、何のため沖縄に膨大な基地を構えるのか。抑止力を現政府がアメリカに問いたださない限り、訓練分散を論じる足場がない」と、当時の日本国政府を糾弾した。関連して同会合に出席していた、当時首相だった鳩山由紀夫に対し「総理は外国人参政権の問題で、『日本列島は日本人のためだけのものではない』と述べたが衝撃だ」と発言し、それら石原の問いに対し、鳩山は「日中の間で衝突があったとき、アメリカは日米安保条約の立場で行動する。しかし(尖閣諸島の)帰属問題は日中当事者同士で議論して結論を出す、と私は理解をしている」との見解を示したため報道陣に、「日中間で尖閣諸島の帰属を協議しようって、こんな馬鹿を云う総理大臣いるのか?正式に(米国から)返還されたんだ。馬鹿な会合だよ。ナンセンス!」と怒りを露わにした。