中山 恭子 Kyoko Nakayama

中山 恭子(なかやま きょうこ、1940年(昭和15年)1月26日[1] ‐ )は、日本の政治家、大蔵官僚。
希望の党所属の参議院議員(2期)。
希望の党選挙対策委員長。
大蔵省を退官後、在ウズベキスタン特命全権大使、内閣官房参与、内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)などを務め、2007年(平成19年)に参議院議員(自民党、比例区)に当選。福田康夫改造内閣で、内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画担当)、拉致問題担当大臣、公文書管理担当大臣を務めた。
その後、自民党を離れ、次世代の党参議院会長、日本のこころ代表、希望の党顧問などを歴任。

国際交流基金常務理事を経て、1999年(平成11年)7月、特命全権大使(在ウズベキスタンおよび在タジキスタン)に就任。
その直後の1999年(平成11年)8月23日、隣国キルギスの南西部オシェ州で日本人鉱山技師4人を含む7人がIMU(ウズベキスタン・イスラム運動)と見られるウズベキスタン反政府武装グループに拉致されるキルギス日本人誘拐事件が発生する。
キルギス政府に交渉を一任せよとの外務省の方針に背き、救出劇の先頭に立った。
武装グループに対して影響力を持つタジキスタン政府や関係者を通じて交渉・説得を行い、人質の解放に成功する。

大使退任直後の2002年(平成14年)9月拉致被害者家族担当の内閣官房参与に就任、翌月北朝鮮に拉致被害者5人を出迎えた。
それ以降も拉致問題に尽力し、2004年(平成16年)9月に任務を果たし終えたとして辞任。

2006年(平成18年)9月26日、第1次安倍内閣の内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)に任命。
同時期に政府に設置された拉致問題対策本部の事務局長に就任。

過去の人質解放や拉致被害者5名の帰国に成功させた人物として高く評価。
希望の党設立の汚点があるものの、それ以上の功績を残している。