【解説】中国残留邦人

中国残留孤児、中国残留婦人、中国残留邦人の違いを解説します。
中国残留邦人に中国残留婦人を含めて説明している一部資料もありますが、一世が女性の場合、二世の戸籍問題に関係してきますので、ここでは中国残留孤児(子供)、中国残留婦人(女性)、中国残留邦人(男性)中国と分けて説明しています。



③ 中国残留邦人とは

《昭和40年代末からの呼称という》昭和20年(1945)8月9日、日ソ中立条約を破棄してソ連軍が満州(中国東北部)に侵攻して以降の混乱の中で日本に帰国できず、やむを得ず中国にとどまった日本人。ほとんどが女性と子供である。厚生労働省は、当時13歳未満で身元不明の人を「残留孤児」、それ以外の人を「残留婦人等」と呼び分けている。
引用:コトバンク

中国残留邦人の中でも身元がわかっていた中国残留邦人と身元を隠しながら生き永らえた中国残留邦人(日本兵など)で分けて考えるべきでしょう。
文化大革命時に開催された批判闘争では親が軍人という理由だけで投獄されて、薄暗い部屋に入れさせられ、長時間拷問のような事をされたという手記が多く残されていますので、元日本兵だと知られないようにするため身元が分かってしまう物を処分する人もいた事は想像できます。
もうひとつの”わだつみのこえ”で藤井治さんの姉の藤井千代子さんが
『ある時期は中国語が話せないために、身障者と申しますか、耳が聞こえない風をして手真似で意思を通じたともあるとかってチラっと申しておりました。』
と証言された通り、元日本兵の多くは中国語が話せないうちは、このようなフリをして生きながらえたのでしょう。
身元を隠し、身元を証明することができない藤井治さんのような中国残留邦人は出身不明者と言う扱いをされ結婚する許可も下りません。
その為、出身不明を解消するべく、仕方なく中国国籍を取得した中国残留邦人、命の危険を感じ仕方なく中国国籍を取得した中国残留邦人は多く、日本国籍を喪失した為に国を訴えた裁判ではことごとく国は敗訴しています。

そして、藤井治さんは1922年(大正11年)生まれですから中国残留孤児ではなく、湖南省で終戦を迎えた元日本兵です。
終戦後、仲間と現地の中国人に対して医療活動を行い引き揚げもできず、日本の家族に連絡する術も無く残留し、周健華さんと結婚するために出身不明だった身元を中国国籍取得で解消した中国残留邦人ということは明白で、当時は中国共産党から許可が下りないと結婚できず、藤井治さんが出身不明者だったため、なかなか結婚の許可が下りなかったと周健華さんが証言しているので、仕方なく中国戸籍を取得したのでしょう。

身元を証明する術が無い場合、本人確認のため肉親とのDNA鑑定や、肉親からの資料の提出が必要になりますが、1972年(昭和47年)11月17日、山口県防府市役所に届いた藤井治さんからの手紙には残留している湖南省衡陽市の住所で、家族の所在を問い合せる内容が書かれていましたので本人確認の必要性は無いでしょう。


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戦時死亡宣告で死亡されたことになっていたとしても、山口県防府市の藤井治さんの生家は戦後も一貫して息子の生存を信じ、死亡届の提出を拒んできた山口県内唯一の家庭ということでしたので死亡の取り消しは容易にできます。

そして、中国残留邦人の国籍に関することですが、一世は日本国籍を死ぬまで保持し続けます。
自らの意志で中国国籍を取得した場合、日本国籍を喪失しますが、この喪失の時期は日中国交正常化以降となります。
また、父親が日本人で母親が中国人の場合の二世の国籍ですが、日中国交正常化以前に生まれたのであれば日本国籍となります。
その為、中国残留邦人の多くが就籍により日本国籍を取得する形となります。

就籍
日本人でありながら戸籍のない者について新たに戸籍に記載されること。就籍をするには家庭裁判所の許可を得るか,または判決を得て就籍の届け出をすればよい (戸籍法 110,111) 。しかし,出生届が怠られたために無籍となっている場合にその届け出義務者があるときは出生届をすることにより,また乳幼児の場合には棄児発見調書によって同一の目的を達することができる。新たに就籍する者については,原則として,父母がある場合にはその戸籍に入籍し,父母がない場合には自由に氏を選定し新戸籍が編製される。
引用:コトバンク

中国残留邦人の就籍に関しては「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律(平成六年法律第三十号)」の「(就籍等の手続に係る便宜の供与)」が適用され以下のように記載されています。

ちなみに、この法律は一世の死後も適用されます。

藤井治さんは中華人民共和国成立(1949年(昭和24年)10月1日)後の1952年(昭和27年)に周健清さんと結婚し、二人の子供(呉也凡さん、呉亦凡さん)を授かります。
なお藤井治さんは結婚時、出身不明解消のために中国国籍を取得(中国名 呉健華)。
国籍的には日本国籍と中国国籍の二重国籍状態です。
日中国交正常化(1972年(昭和47年)9月29日)までの中国国籍取得ですし、出身不明を解消するため仕方無く取得していますので日本国籍は喪失しませんし本来、出生届けを出せばお子さん二人の国籍も日本国籍となりますが、連絡をする術も無くの通り、できませんでした。
出生届けの機を逸したということです。

1959年に成立した未帰還者に関する特別措置法により、生死不明の未帰還者が戸籍上は死亡したものとして扱われることとなる「戦時死亡宣告」で藤井治さんの日本の家族に防府市役所の人間が家を訪問し、何度も死亡届の提出をお願いしたが、家族はことごとく拒んでいたので藤井治さんの戸籍は、この当時死亡になっていない。
この際、当然ですがお子さん二人の出生届け(日本側に)は出されていないので日本国籍はありませんので全く関係ありません。

日中国交正常化(1972年(昭和47年)9月29日)後に、山口県防府市役所に藤井治さんから1972年(昭和47年)11月17日、湖南省衡陽市の住所で、家族の所在を問い合せる内容が書かれた手紙が届く。
その後、電話にて家族と対面(状況は長男を人質にされての電話)、1979年、藤井 治さん約30年ぶりに日本に一時帰国。
この時にお子さん二人の出生届けをなぜ出さなかったのかと深田萌絵(Revatron株式会社 代表取締役 浅田麻衣子)氏や、その支持者らは言いますが、電話の時にですら長男を人質にされるほどの要監視対象でしたから、出生届を出せばどうなるか想像がつくでしょう。

1991年(平成3年)12月25日、藤井 治さんは持病であった心臓病が悪化し、希望していた三度目の帰国を果たせず永眠。享年69歳。
藤井治さんの日本戸籍では平成3年が死亡とされているため、日本の家族が手続きをされたのでしょう。
そして、藤井治さんの遺骨は故郷の墓に両親と共に眠っている。
ちなみに海外で邦人が亡くなり、遺骨や遺体を日本に帰すことを「帰国」としています。

その後、約3年後の1994年に藤井治さんの息子さん、お孫さんの日本国籍取得のため就籍手続きをすることになります。

就籍
日本人でありながら戸籍のない者について新たに戸籍に記載されること。就籍をするには家庭裁判所の許可を得るか,または判決を得て就籍の届け出をすればよい (戸籍法 110,111) 。しかし,出生届が怠られたために無籍となっている場合にその届け出義務者があるときは出生届をすることにより,また乳幼児の場合には棄児発見調書によって同一の目的を達することができる。新たに就籍する者については,原則として,父母がある場合にはその戸籍に入籍し,父母がない場合には自由に氏を選定し新戸籍が編製される。
引用:コトバンク

就籍は「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律(平成六年法律第三十号)」の「(就籍等の手続に係る便宜の供与)」が適用されます。

また、日本の国籍法にはこうあります。

「父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。」

それに「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律(平成六年法律第三十号)」は一世の死後も適用されるので、藤井治さんの死後に妻の周健華さんの婚姻届け提出し受理される。
当時、中国で結婚した際の婚姻届けが証明になります。

これで戸籍上の夫婦関係が成立することになり、息子さんの出生届けを出すことができますので出生届け提出をして受理されます。
この時点で息子さんは日本国籍を有した事になりますので、その息子(藤井治さんの孫)の出生届けも出せば受理されます。

婚姻届け提出→婚姻届け受理→二世の就籍手続きにより出生届け提出→受理→三世の就籍手続きにより出生届け提出→受理という流れです。

これは、「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律(平成六年法律第三十号)」の「(就籍等の手続に係る便宜の供与)」となります。

このように「就籍等の手続に係る便宜の供与」での就籍手続きになりますので、何の違法性も無い事が分かると思います。
また就籍手続き当時は親族の証言もあったでしょうし、証拠(手紙や婚姻届けや中国戸籍等)もあるので親子関係(配偶者)は証明できますから、DNA鑑定は必要ありません。

藤井治さんのお孫さんである藤井 一良さんのブログ「藤井一良の風評被害対策ブログ(アルファアイティーシステム)」では「藤井一良の出生についての正しい情報を公開致します」という記事で中国残留邦人三世と2017年12月17日に公開されています。
ですが、藤井 一良さんから1000万円を騙し取り裁判から約7年も逃げ回り、約7年も人権侵害、名誉棄損を繰り返す、ITアナリストの深田萌絵(Revatron株式会社 浅田麻衣子)氏のブログ「深田萌絵 本人公式ノンポリ★ブログ」では以下のように記載されています。

自身で「藤井君の祖父藤井治さんは大正十一年生まれ1922年生まれです。」と言っているのに中国残留孤児としている時点で間違っていますね。
どこを、どう間違えたら藤井治さんが中国残留孤児になるんでしょうか。

これに便乗して、藤井治さんの孫である藤井一良氏について、DNA鑑定をすれば等と発言した某保守言論人がいたりと理解ができません。
また、日本の法律で全てが説明できますし、乗っ取りである背乗りではなく、出生届け提出ですから、未だに背乗りと言って父祖の名誉を汚してる在特会支持者がいたりと、先の大戦を命がけで戦われた藤井治さん、そのご家族の名誉を毀損していて腸が煮えくり返ります。

私個人的に在特会はデモの時の発言内容等は評価しておりませんが、在日特権や父祖の名誉のために活動していることには一定の評価をしていますが、深田萌絵(Revatron株式会社 代表取締役社長 浅田麻衣子)のデマを鵜呑みにして父祖の名誉を汚す支持者がいるので、なにかコメントを出してもらいたいです。
また、チャンネル桜の水島氏も、この件が耳に入りましたらコメントしていただけると幸いです。