【解説】中国残留婦人

中国残留孤児、中国残留婦人、中国残留邦人の違いを解説します。
中国残留邦人に中国残留婦人を含めて説明している一部資料もありますが、一世が女性の場合、二世の戸籍問題に関係してきますので、ここでは中国残留孤児(子供)、中国残留婦人(女性)、中国残留邦人(男性)中国と分けて説明しています。



② 中国残留婦人とは

戦前・戦中、開拓団などで満州国(中国東北部)などに渡り、終戦後の混乱で置き去りとなった邦人のうち、国は当時13歳以上で身元が分かっていた女性を「残留婦人」として対応してきた。 孤児同様、多くが過酷な避難生活や貧困、差別を体験。 日本政府による帰国支援も遅れた。
引用:コトバンク

中国残留孤児は「両親が日本人であって,日ソ開戦が直接の原因で両親が死亡,もしくは生き別れとなり,当時 12歳以下の者」です。
中国残留婦人の場合、現地の中国人男性と結婚をしたりして家庭を築く人がいました。
藤井 治さんのお孫さんである藤井 一良さんがyoutube公開した動画「藤井一良の出生について「学徒出陣50年」蘇る”わだつみ”-戦後なき学徒兵の秘話- 前半」で登場する藤井 治さんが生前交流があった安藤 巳代子さんも、その一人です。

また、以下の記事の解説で紹介している「スパイ容疑と国籍剥奪にさいなまれて!」を書かれた福久 かずえさんも中国残留婦人です。
藤井 治さんと同様に壮絶な人生を歩まれているので是非、一読していただきたい。

中国残留婦人の問題点として「二世」の国籍・戸籍問題が出てくるので、鍛治 致(カジ イタル)氏の「「中国残留邦人」の形成と受入について」から抜粋して説明します。
図は分かりやすく手直しをしているので、下の図を参考にして下さい。

日本国籍を生涯維持している「一世」を母(中国残留婦人)として生まれた「二世」は、もし「満州国」崩壊から中華人民共和国成立までの間に生まれていれば、日本人女性の婚外子とみなされる場合が多々あり、これによって日本国籍を取得する場合もある。
一方、中華人民共和国成立後に生まれた「二世」については1985年以降に生まれたか、それよりも前に生まれたかによって国籍の取得方法が異なる。(1985年以降生まれの「二世」はほぼいないだろうが)
まず1985年以降生まれであれば「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」の批准に合わせて発効した改正国籍法(=出生による国籍取得について父系主義を廃し両系主義を採用)により母 (=日本)の国籍が継承できる。
ただし、これには以下に引用するような経過措置があり、これに従えば、たとえ1984年以前の生まれであっても(1965年以降の生まれでありさえすれば) 母 (=日本)の国籍が継承できる。
ただし、この場合は(1985年以降生まれの者とは異なり)日本へ来てから3カ月以内に届出をしなければならないし、また、生まれた日にさかのぼって日本国民になるわけではなく、届出の日から日本国民となる。

「国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律」(昭和59年法律第45号)
(国籍の取得の特例)
第5条
1 昭和40年1月1日[=’65.1.1]からこの法律の施行の日(以下「施行日」という。)の前日[=’84.12.31]までに生まれた者(日本国民であつた者を除く。)でその出生の時に母が日本国民であつたものは、母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、施行日[=’85.12.31]から3年以内に、法務省令で定めるところにより法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
3 第一項に規定する届出をしようとする者が天災その他その責めに帰することができない事由によつて同項に定める期間内に届け出ることができないときは、その届出の期間は、これをすることができるに至つた時から3月とする。
4 第一項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を取得する。

以上の特例により「二世」が国籍を取得できるということは、つまり、「一世」が旧満州に残留を余儀なくされていたということが「天災その他その責めに帰することができない事由」にあたるとして法務省から認められているということなのだろう。

なお、「一世」である母が日本国籍離脱者だった場合については既述の原理を組み合わせれば自ずから「答え」は出るので省略する。
ただし上述のことに関して注意すべきことは以下の各点である。

第一に、以上はあくまでも「二世」が(帰化によってではなく出生によって)日本国籍をどこまでとれるのかという「果て」あるいは「限界」を示しているだけであるという点。つまり、ここでは帰化による国籍取得については問題としていない。また「中国に長期間滞在しづらくなるのが嫌」等の事情により戸籍に関する各種届出を敢えてしなければ、中国の旅券で入国している者については (たとえ「一世」であっても)法務省からは永遠に中国人として処遇され続ける。

第二に、出生の届出人は原則的に親となっており、両親がともに死去してしまうと手続はやりにくくなるという点。

第三に、図は中華人民共和国成立以降については「二世」が婚外子として生まれることを想定していないが、その可能性が全くないわけではないという点。

第四に、「一世」が「身元未判明孤児」の場合、出生の届出は事実上不可能なので、家庭裁判所に申し立てて許可をもらうという手段を取ることになるという点。

第五に、図の原理は「三世」による国籍取得についても当てはまるという点。例えば母の父が「一世」であるような「三世」の場合、1965年以降に出生していれば国籍が取得しやすい。もっともこの場合、母も日本国籍を取得することが必要条件である。
なお、「一世」や「二世」の国籍をめぐっては以下のような判断が過去に法務省や裁判所から出されている。

日本人母の中共からの引揚に伴い、中国人父とともに中国旅券を所持して入国した子5人(いずれも昭和29年[=1954年]以降中国で出生)が、父母の婚姻事実がなく、また同人らが自己の志望により中国籍を取得した事実が見受けられないところから、日本国籍を有するとされた事例 (昭48[=1973].4.18民二3247号回答)
法務省民事局法務研究会(1994:238)

昭和19年[=1944年]に渡満、昭和25年[=1950年]中国人男と結婚し、昭和40年[=1965年]7月申請により中華人民共和国の国籍を取得した日本人女は、日中国交回復の日に日本国籍を喪失する。(昭51[=1976年].6.14民五3393号回答)
法務省民事局法務研究会(1994:239)

日本人女が中国本土において中国人男との間に出生した子につき非嫡出子出生届がなされ、調査の結果、父母につき婚姻の成立を証する書面はないが、母の供述等から判断して、昭和23年[=1948年]当時において中華民国民法の定める方式により有効に婚姻が成立していたことが認められるとして上記出生届を受理すべきでないとされた事例 (昭53[=1978年].1.21民二431号回答)
法務省民事局法務研究会(1994:212)

中共政府樹立(昭和24年[=1949年]10月1日)当時、中国本土において中国人男と事実婚の状態にあった日本人女について、同日をもって同国の方式による婚姻が成立した(ただし、日本国籍について変動はない)ものとして処理するのが相当であるとされ、また、その結果、右夫婦間の出生子について母からされた非嫡出子出生届は受理すべきでないとされた事例 (昭和53[=1978年].11.7民二6054号回答)
法務省民事局法務研究会(1994:230)

いわゆる中国残留日本人孤児からの就籍許可申立事件において、申立人の父は知れないが、申立人が中国内で日本人難民集団とともに逃避行を続けていた女性から中国人養父母に引き渡されたことからすれば、申立人の母は日本人であったことは疑いをいれる余地はなく、申立人は出生により日本国籍を取得しているなどとして、就籍を許可した事例 (横浜家裁 昭60[=1985年].11.18審判)
法務省民事局法務研究会(1994:241)

以上の事から中国残留婦人(一世)や、婦人と中国人男性との間に産まれた二世の子供には大変厳しい戸籍・国籍の対応がなされています。
中国残留婦人(一世)が国交正常化前に中国国籍を取得した場合、国交正常化の日に日本国籍を喪失し、「中国に長期間滞在しづらくなるのが嫌」等の事情により戸籍に関する各種届出を敢えてしなければ、中国の旅券で入国している者については (たとえ「一世」であっても)法務省からは永遠に中国人として処遇され続けるということです。
また、昭和59年12月までは父系主義がとられ、外国人父と日本人母の間に生まれた子には日本国籍が与えられなかったため、中国残留婦人と中国人男性との間に産まれた子供を中国残留邦人と呼ぶのは間違いです。
その為、中国残留邦人の藤井 治さんの息子さんである藤井 健夫(中国名 呉也凡)さんと、お孫さんである藤井 一良(中国名 呉思国)さんらの就籍とは異なりますから中国残留婦人と中国人男性との間に産まれた子供は就籍ではなく帰化になります。

このように明確に法的にも違いがあるのに無知であるがゆえに下記のようなデマを発信するアカウントには注意をしましょう。