【解説】中国残留孤児

中国残留孤児、中国残留婦人、中国残留邦人の違いを解説します。
中国残留邦人に中国残留婦人を含めて説明している一部資料もありますが、一世が女性の場合、二世の戸籍問題に関係してきますので、ここでは中国残留孤児(子供)、中国残留婦人(女性)、中国残留邦人(男性)中国と分けて説明しています。



① 中国残留孤児とは

太平洋戦争終了時,現在の中国東北地区 (満州) には約 150万の日本人が居住していたが,帰国の過程で死亡,行方不明となった人々も多く,数万人に上る孤児が生じたといわれる。日本政府はその子供たちのうち,両親が日本人であって,日ソ開戦が直接の原因で両親が死亡,もしくは生き別れとなり,当時 12歳以下の者を中国残留孤児と定義している。なお,13歳以上で自らの意思で中国大陸に残ったとされる女性は中国残留婦人とされ,約 1800人が確認されている。
引用:コトバンク

中国残留孤児は満州で産まれていなくても、日本人夫婦の間に産まれから、その後に中国に行き生活をして、戦争末期でのソ連軍侵攻と関東軍撤退などで、避難途中に両親と死別した、もしくは離れ離れになった12歳以下の子供達も中国残留孤児となります。
避難途中で満州以外の現地の中国人に拾われたり、匿ってもらい生き延びたケースもあるので、満州以外の地域に残留となった中国残留孤児もいます。
当然、12歳以下ですから2歳や3歳もいるわけです。

中国残留孤児と中国残留婦人の発生は1945年(昭和20年)8月9日と言われており、中国からの引き上げが開始されたのは1946年(昭和21年)5月14日、旧満州地域からの最終集団引き揚げが1948年(昭和23年)8月19日。
そして、中国(大連)からの集団引揚中断となったのは1949年(昭和24年)10月3日です。
それから約4年後の1953年(昭和28年)3月23日に中国からの集団引揚が再開され、1958年(昭和33年)7月13日には中国からの集団引揚終了(以後は個別引揚げ)となります。

中国残留孤児となった子供が自分の意思で終戦直後の引き揚げで日本に帰国しようとするのは難しいので、中国残留孤児が引き揚げした多くは個別引揚になります。
なお、中国残留孤児の終戦時の年齢と日中国交正常化時の年齢は以下の通りになります。

本当は日本人なのに中国語しかできない、中国人の両親を実の親と思っているケースもありますし、戦闘に巻き込まれ亡くなった子供の遺留品(戸籍)を中国人が保管し、その子供に成り代わる(背乗り)というケースもあります。
その為、厚生労働省の定める身元調査で資料が少ない場合、欠けている場合などDNA鑑定(肉親との)が必要となります。

中国残留日本人孤児の身元調査(厚生労働省)
中国から寄せられた手掛かり資料をもとに、厚生労働省が保管する資料、肉親から提出された孤児届等の各資料と照合して、該当すると思われる方について都道府県を通じ家族に確認を求めるなど調査を行っています。

肉親とのDNA鑑定をしたケース:中国残留日本人孤児の身元の判明について

上記のDNA鑑定を行って身元が判明したケースは、昭和61年10~11月 第13次訪日調査に参加(身元未判明)してから、平成23年2月に肉親と思われる方との間でDNA鑑定を実施(※孤児本人から新たな手がかり(肉親の名前)が寄せられ、調査した結果、肉親と思われる方の所在が判明)、平成23年4月にDNA鑑定の結果、孤児の身元判明したとありますので、かなり長い年月をかけて調査を行っています。
身元調査の間は日本に在住しているので、問題視する人もいるのは事実です。

なお、DNA鑑定を行って身元調査をしている厚生労働省のデータでは以下のように日本人だと判明した率が1割を超えています。
「中国残留孤児の9割が偽物だとゲロった」という情報ですが、ゲロった(言った)だけですので証拠は何もありません。
これを確定してしまうと同胞である日本人を傷つけてしまう恐れがありますので、中国残留孤児の中には偽物がいる可能性があるという認識の方が良いと思います。

引用元:厚生労働省 中国残留日本人孤児の身元の判明について