藤井 治(中国名 呉健華)氏の生涯 ~もうひとつの”わだつみのこえ”~ ④

このページは、2019年6月19日にYouTube公開された下記の「藤井一良の出生について「学徒出陣50年」蘇る”わだつみ”-戦後なき学徒兵の秘話(前半・後半)」から解説・証言等を引用して作成しています。

目次

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藤井 治さんの生涯 ~一時帰国から、その後…~

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1979年、藤井 治さん約30年ぶりに日本に一時帰国。
この時、藤井 治さんは日本には約三ヶ月ほど滞在しており、当時の様子を姉の藤井 千代子さんはこう語っている。

『竹にですね、ナイフで掘り込みをしているんです。

帰るべきか、帰らざるべきか、男としての一生としてどちらを選ぶべきか

竹に掘っておりました。
私、それ見た時、なんか治の心を見たようで涙で霞んでしまった。』

この藤井 治さんの悩みを断ち切ったのは、老齢ながらも気丈な母の藤井 千代乃さんの一言でした。

『せっかく中国の衡陽市60万の人達が
あなたの病院での活躍を望んでいるんだったら
中国に帰って自分の中国で学ばせていただいた
医学の事をお役に立てた方がいいだろう
だから今は中国に帰って中国のためにご恩返しをしなさい。』

そして、藤井 治さんは『僕は中国に骨を埋めるよ』と言って中国に帰りました。
自身の家族が待つ中国湖南省衡陽市に戻った藤井 治さんは仕事で訪中した一人の日本人男性、畑中 義雄さん(当時。大阪在住)と偶然、出会う事になる。

戦時中、中国大陸を転戦した体験を持つことから晩年、藤井さんの心の友となった畑中 義雄さんは藤井 治さんの戦争観をこう語る。

畑中 義雄さん:『一番末端の庶民がね、一番迷惑をこうむってるんやと、それをその庶民に対して、まぁ昔の中国政府も、日本の政府も救済の手を打ったかと。』
記者:『それがあって医者として尽くしたっていう部分にも繋がってることなんだと思うんですけど。』
畑中 義雄さん:『うん、間違いないですね。一億二千万の代表として一人でやってくれたようなもんでしょう。』

藤井 治さんの当時の日記にはこう記されている。

『この中国に俺の青春をささげた、今ではこの青春を取り返すことができない。』

畑中 義雄さんは
『藤井さんの戦いは続いた、彼に戦後は無かったのだ。青春が無かったと彼がして言わしめるとするならば、誰がそうしたんだと。不遇な目を合わせたのは、一体誰なんだと僕は言いたい。』
と語る。

畑中 義雄さんは二度目の訪中が藤井 治さん生前最後の別れとなった。
別れの際、藤井 治さんが畑中 義雄さんに贈った寄せ書きに菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」と記している。
(呉 健華は藤井 治さんの中国名)

畑中 義雄さんは藤井 治さんとの別れの時をこう語る。
『別れるときのね、あの表情ね。今でもこうやって目を瞑ったら浮かびますよ。寂し気な表情。おい!一緒に帰ろう!っと叫びたくなりたい表情でしたよ。』

藤井さんは死の前年、畑中さんへの手紙の中で心情をこう吐露している。

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『故郷に帰ってから家族などの道場で暮らしていくことなど、この年の私にはとうていできないのです。まぁ、これも運命と言わねばなりません。
年を撮れば撮るほど故郷の土に憧れる。何十年も住んだこの土地にどうしても慣れることができない。
一生涯、やはり異国の者として暮らして、骨を埋めることでしょう。
あぁ運命宿命。
だが故郷に帰っても同じ。
故郷では私は異国者かも知れません。
恐らく異国者でしょう。』
1984年、藤井 治さんの長男の呉 也凡さんの息子である呉 思国さん(日本国籍取得後の藤井 一良さん)が生まれる。
1991年(平成3年)12月25日、藤井 治さんは持病であった心臓病が悪化し、希望していた三度目の帰国を果たせず永眠。享年69歳。
1991年(平成3年)12月27日、中国湖南省衡陽市において医療貢献をした日本人として市葬される。
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解説

心の友だった畑中 義雄さんに贈られた寄せ書きには藤井 治さんの中国名である呉 健華が書かれている。
全体を通してみても「藤井 治」と「呉 健華」は同一人物であり、背乗りではないことは誰の目から見てもわかっていただけるだろう。
そして、藤井 治(呉 健華)さんが亡くなられた約3年後の1994年、日本の家族や親族(姉の藤井 千代子さんら)、そして中国の家族が藤井 治藤井 治(呉 健華)さんの想いを継ぎ、日本語のできない中国の家族の代わりに日本の家族や親族が奔走した結果、政府の協力により藤井 治(呉 健華)さんの息子で長男の呉 也凡さん、孫にあたる呉 思国さんが日本国籍取得されます。
日本国籍取得の詳細については違う記事にて詳しく紹介いたします。

 

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