藤井 治さん

1922年(大正11年)山口県防府市に四人兄弟の長男として生まれる。
1934年(昭和 9年)父親の転勤で中国大陸へ。
大連第一中学校卒業後、東京の早稲田第一高等学院へ進学。
1944年(昭和19年)2月、学徒動員で満州の関東軍鉄道第三連隊に配属、中国大陸へ渡る。

湖南省にて終戦

終戦の混乱の中、軍が残した医学書や薬剤を頼りに住民や仲間の治療を始める。
中国語が話せないために時には身障者(耳が聞こえない)のフリをして手真似で意思を伝えたりした。
ある村で馬に蹴られた子供の命を助け、そこに住むことに。
1952年(昭和27年)周 健清さんと結婚。

やっと掴んだ幸せ

出身不明者として共産党から周 健清さんとの結婚の許可がなかなか下りなかったため「呉 健華」となる。
困難な中、周 健清さんと結婚を果たし、二人の大事な子供が生まれた。
長男「呉 也凡」さん、次男「呉 亦凡」さん。
このまま幸せが続くはず、だった…。

1966年(昭和41年)文化大革命

批判大会が開催され藤井 治さんは首に看板をかけられ批判される。
日本鬼子(日本軍に対する憎しみ)と罵られたり。
「日本のスパイ」とされ身柄を拘束され、中国人である妻や子供も冷たい扱いを受けることに。
釈放後は要監視対象の生活を強いられることになる。

そして現代

藤井 治さんの息子の藤井健夫さん、その子供で藤井 治さんの孫にあたる藤井一良さんがスパイにされる。
Revatron株式会社 代表取締役 浅田麻衣子(深田萌絵)に1000万円を騙し取られ、背乗り…なりすまし…裁判でも的確な証拠も出せず逃げ回り、ブログやSNSで発信され続け約7年。
これは藤井 治さん、藤井 健夫さん、藤井 一良さんご家族、ご親族の名誉回復の特設サイトです。