満州国建国立案者で満州人による運営を考えてた石原莞爾とは

満州国について調べる上で、絶対に登場するのが石原莞爾なのだが、調べれば調べるほど、のめり込んでしまう人物。
のめり込むというと語弊があるが、面白い。

上官には反抗的な言動をする一方で、部下を大事にして除隊後にも役立つようウサギの飼育を教えたり、東條英機を無能扱いにして対立したり、太平洋戦争(大東亜戦争)を絶対不可としたり、日本の事を考え満蒙領有計画を構想したりと、つまり私の中での石原莞爾は興味をそそった。

石原 莞爾、1889年1月18日 (戸籍の上では17日)生まれ。
最終階級は陸軍中将。

石原莞爾

石原莞爾


石原莞爾が関東軍作戦参謀時代に書いた「現在及び将来に於ける日本の国防」(1927年)で、すでに満蒙領有論が構想されていた。
満蒙領有論はヨーロッパ戦争史の研究と田中智学の講演から、当時の日本の国内問題(人口増加など)解決と、日米決戦を前提として構想したもの。
そして、板垣征四郎らとともに柳条湖事件・満州事変を起こす。
板垣征四郎

板垣征四郎


23万の張学良軍を相手に、わずか1万数千の関東軍(大日本帝国陸軍の総軍のひとつ)で、日本本土の3倍もの面積を持つ満州の占領を実現する。
満州事変での戦死者は約6050人(引用:帝国書院)とされている。

満州国の建国では「王道楽土」「五族協和」を理念として、石原莞爾の満蒙領有論は満蒙独立論へ転向していく。

現在、満州国は関東軍の傀儡国とされているが、満蒙領有計画を考えた石原莞爾はアジアの盟友を育てようと、満州国は満州人が運営するべき、日本人も国籍を離脱して満州人になるべきだと語ったように、石原莞爾の満州国構想は日本及び中国を父母とした独立国(「東洋のアメリカ」)であったが、これに理解しない東條英機との対立が激化し、「東條上等兵!」と呼ぶなど馬鹿呼ばわりした。
結果、東條英機の根回しなどで左遷され、予備役となる。

冒頭でも触れたが、太平洋戦争(大東亜戦争)に対しては「油が欲しいからとて戦争を始める奴があるか」と絶対不可である旨を説いていたが、受け入れられることはなかった。
ちなみに、中国は大慶油田を発見して、第二次世界大戦後輸入に頼っていた石油事情を一変させている。

また、石原莞爾は周りには、中国人への全面的な謝罪、中華民国からの即時撤兵による東亜諸国との連携を説い、中国東亜連盟の繆斌を通じ和平の道を探ったが、重光葵や米内光政の反対にあい失敗する。

この謝罪についてだが、石原莞爾が戦後に行われた裁判の法廷に先立って、重慶通信社の特派記者から取材を受け言及している。
満州国の運営が石原莞爾の理想通りに進まなかったことについて言及した後、「わしが理想郷を心に描いて着手した満州国が、心なき日本人によって根底からふみにじられたのである。在満中国人に対する約束を裏切る結果となってしまった。その意味において、わしは立派な戦争犯罪人である。独立に協力した中国人に対してまことにすまなかった、と思っている」と述べ、中国に満州国独立に協力した人々の理解を願う発言をしている。

最後に石原莞爾は、戦前の主張の「最終戦争論」を修正し、日本は日本国憲法第9条を武器として身に寸鉄を帯びず、米ソ間の争いを阻止し、最終戦争なしに世界が一つとなるべきとし、大アジア主義の観点から「我等は国共いづれが中国を支配するかを問わず、常にこれらと提携して東亜的指導原理の確立に努力すべきである」と主張した。

満州国の戦略を石原莞爾にまかせ、太平洋戦争(大東亜戦争)の時、石原莞爾がいたらどうなっていたのか色々と考えさせてくれる人物である。

関連記事

  1. 満州国の五族協和を願った協和語の実態

  2. ハングルを弾圧したと言われる「朝鮮語学会事件」について

  3. 奴婢

    李氏朝鮮時代の支配層である両班と人として扱われず日韓併合で解放された奴隷階級の人達

  4. ロシア帝国ニコライ二世

    日露戦争・日韓併合に協力した朝鮮人は80万人!!日清戦争以降の朝鮮半島に及ぼした影響勢力を解説!!

  5. 李承晩(1909年撮影)

    【朝鮮民族主義歴史学①】竹島や対馬を朝鮮民族固有の領土とする理由

  6. 【ハングル完結版-下-】ハングルの礎を気づいた貢献者の中に数名の日本人がいた

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。