【朝鮮民族主義歴史学①】竹島や対馬を朝鮮民族固有の領土とする理由

李承晩(1909年撮影)

過去、韓国人や韓国人僧侶らによる対馬の仏像窃盗や、最近では韓国資本による不動産購入など民間レベルでの対馬侵略が進んでいて、多くの保守層が危機を感じているだろう。

また、竹島を武力により不法に占拠した行為など、とても許せるものではないのだが、対馬や竹島に対する領有権の主張、日本統治(日韓併合)の植民地支配、歴史修正主義など、どれも首を傾げて失笑するほど可笑しいことを、お隣の国(韓国や北朝鮮)が口を開けば、いつも喚くのには理由がある。

まだ言及している保守言論人やジャーナリストがいない事が不思議なのだが、それは「朝鮮民族主義歴史学」が理由になる。
経済評論家である上念司氏が保守系媒体で言及したことで注目された「チュチェ(主体)思想」も、この「朝鮮民族主義歴史学」から派生したほど、とても危険な考えなので皆さんにも知っていただきたいと思う。

まず、竹島や対馬の領有権主張は韓国初代大統領の李承晩がしたのだが、これも「朝鮮民族主義歴史学」からくる。
どうして彼がそうなったのか知れば分かってくる。

独立協会立ち上げから臨時政府大統領就任まで

李承晩は1895年、日本の援助で王宮を占領し新政権を樹立した甲申政変に参加した徐載弼と李完用、ハングルを完成させたと言われる周時経、そして李承晩ら開化派による運動団体「独立協会」を立ち上げる。
その約2年後の1897年に李承晩は高宗退位要求の檄文散布に加わり投獄され、1898年12月25日に皇帝勅令によって強制解散となる。
以後、活動は一進会などに引き継がれる。
一進会は1904年に李容九、宋秉畯らの開化派によって創設され、日清戦争、日露戦争の勝利により世界的に影響力を強めつつあった日本に注目し、日本政府や日本軍の特別の庇護を受け、日本と大韓帝国の対等な連邦である「韓日合邦(日韓併合とは異なる概念)」実現のために活動した政治結社である。

投獄中の李承晩(1899年、前列左端)

投獄中の李承晩(1899年、前列左端)

1904年の日露戦争後、大韓帝国に日本の影響が及び朝鮮独立を危惧した高宋(大韓帝国の皇帝)が朝鮮の独立維持のためにアメリカに援助を求めようと考え、英語が話せる李承晩を特赦する。ちなみに李承晩は李氏朝鮮王族の分家である。

渡米した李承晩は1905年8月、当時のアメリカ大統領ルーズベルトに面会して「我々は皇帝の代表者ではなく、一進会という団体の代表者である」「皇帝は朝鮮人の利益を代弁する事ができない」と、大韓帝国と高宗を積極的に否定する。
そのような事もあり、李承晩はアメリカに残り、プリンストン大学で朝鮮人初の博士号を取得する。
この時期のプリンストン大学の総長は、後に大統領となるウッドロウ・ウィルソンで、李承晩はこのウィルソンと親交を持つ。
大学を卒業した後、1911年に朝鮮半島へ戻ってキリストの宣教活動をするも、寺内正毅朝鮮総督暗殺未遂事件の関与を疑われて再度、渡米する。
なお、李承晩は渡米する途中、日本に立ち寄り観光をしている。
渡米後の1913年、ハワイに日本人として入国(下記資料)して、ホノルルに居を構え学校職員として勤務する傍ら、朝鮮独立運動に携わることになる。
下記は米国国家記録院の古文書保管サイトシスツリードットコム(Ancestry.com)が公開した資料。

previous arrow
next arrow
previous arrownext arrow
Slider

そして同年1913年、朝鮮民族主義歴史学の初期の提唱者である申采浩は1913年11月に上海に渡り、独立運動団体を支援する貿易会社同済社に参加している。
その後、李承晩は1919年に当時、中華民国の上海で大韓民国臨時政府が樹立され同年9月11日に臨時政府大統領となった。
これはウィルソンとの人脈があったからと見られている。

李承晩と申采浩

李承晩と申采浩は1913年頃から臨時政府が樹立されるまでの1919年の間に親交があり、朝鮮民族主義歴史学に影響を受けたとされる。
申采浩は高句麗遺跡や中国よりの白頭山を訪れて触発され、朝鮮民族主義歴史学を提唱した。

申采浩

申采浩

申采浩は、三韓と新羅中心の歴史観から「檀君」「夫余」「高句麗」中心の歴史観へと転換しており、高麗もその枠組みに入る。
高麗の太祖「王建」は、後高句麗を建国した泰封王である弓裔に従っていた人物。
対馬に関して「高麗史」では日本船300艘と沿岸の建物を焼き尽くし、捕らえられていた者100余人を救出したとして、帰国後は昌王名義で賞賛されたとしており、これを激戦の末に倭寇を降伏させたとされている。

李承晩ラインを宣言した際、韓国政府の兪鎮午は日本の朝鮮統治時代から著名な史家であった崔南善の元を訪れ「歴史的に見て韓国領として主張のできる島嶼」を尋ね、崔南善から独島(日本名、竹島)が韓国領であることを「確信できる程度の説明を受けた」としている。
そして崔南善は朝鮮民族主義歴史学の研究者である。

どれも竹島も対馬も韓国固有の領土と断定できる明確な根拠も証拠も無いのだが、朝鮮民族主義歴史学は「民族的または人種的に定義された朝鮮民族を中心とした、朝鮮の歴史を民族主義的な歴史観に基づいて研究したもの」になるので、歴史的事実が朝鮮民族主義的な歴史観に歪曲されてしまう。
だから韓国・北朝鮮側は「歴史問題」としているのだ。

この朝鮮民族主義歴史学は、日本歴史学は朝鮮を歴史上従属的で文化的に遅れていると描く植民地歴史学であると断じている。
その為、日本統治時代を肯定すると「歴史修正主義」と言われるのが、その理由である。

以上、朝鮮民族主義歴史学について軽く解説したが、少し見ただけでも大分、危険な考えである事が分かってもらえるだろう。

別段だが、朝鮮民族主義歴史学の「檀君」は完全創作された新興の神である。
また、高麗の王建の先祖は、唐の皇帝であった「粛宗」または「宣宗」とされており、朝鮮半島に現存する最古の歴史書「三国史記」で、高句麗第19代国王「広開土王」は自分で「自分たち高句麗王は黄帝の孫の高陽氏、黄帝の曾孫の高辛氏の子孫である」と称している。
黄帝は三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。

朝鮮人が朝鮮民族主義歴史学で、中国の歴史や文化を否定しても、神話と言われる時代から中国人(漢人)に支配されていたのは事実である。

関連記事

  1. ハングルを弾圧したと言われる「朝鮮語学会事件」について

  2. 【ハングル完結版-下-】ハングルの礎を気づいた貢献者の中に数名の日本人がいた

  3. 【ハングル完結版-上-】ハングル創製した世宋大王は純粋な朝鮮民族では無かった。

  4. ロシア帝国ニコライ二世

    日露戦争・日韓併合に協力した朝鮮人は80万人!!日清戦争以降の朝鮮半島に及ぼした影響勢力を解説!!

  5. 満州国建国立案者で満州人による運営を考えてた石原莞爾とは

  6. 満州国の五族協和を願った協和語の実態

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。