【デマ発信機】ピンクスパイガー深田萌絵(浅田麻衣子)氏よ…いい加減、見苦しいぞ。

藤井一良氏の祖父である、藤井治氏(中国名 呉建華)の生涯は以下の通りです。
藤井一良氏のブログ「藤井一良の風評被害対策ブログ(アルファアイティーシステム)」と公開されたYouTube動画(「藤井一良の出生について「学徒出陣50年」蘇る”わだつみ”-戦後なき学徒兵の秘話- 前半」「藤井一良の出生について「学徒出陣50年」蘇る”わだつみ”-戦後なき学徒兵の秘話- 後半」)から引用しています。

①.1944年早稲田大学政経学部在学中に学徒動員。
②.中国出兵、その後「関東軍第三連隊」に配属(衛生兵として従軍)、大陸打通作戦に投入。
③.中国国内を転戦、湖南省衡陽市にて終戦。
④.終戦後、中国軍の捕虜となる。
⑤.衡陽市が内陸部であること等から戦後も日本へ帰国が難しく衡陽市に残留。

藤井一良氏が公開したYouTube動画「藤井一良の出生について「学徒出陣50年」蘇る”わだつみ”-戦後なき学徒兵の秘話- 後半」で、藤井治氏から送付された山口県防府市役所に生存を知らせる手紙(1972年11月17日着)にはこう書かれている。
私は戦争が終わった後、不思議な運命に委ねられて中国に残ってまいりました。
解放前のあの頃の苦しさは非常なものです。
一緒の日本人とも離れ離れになり、生活は苦しく、家と通話する術もなく、家に帰る事など、まったく考える事もできませんでした。

⑥.関東軍に衛生兵として従軍していた事もあり、捕虜の身として医療行為を続けながら1949年に湖南医科大学に入学。

医師や医療に携わる人物が、中国共産党に捕らわれてからも現地で働くよう強く求められた事例は「戦跡 薄れる記憶」を見れば藤井治氏だけではない事が分かる。

⑦.3年間の研修後、衡陽市で内科医となる。その後、衡陽医学第一附属病院にて主任医師を勤める。
⑧.1966年、文化大革命により「日本のスパイ」という事実無根の嫌疑をかけられ、身柄拘束、その後は家族(藤井治氏の妻、息子(藤井一良氏の父))も非常に冷遇な扱いを受ける。

藤井治氏の妻と息子が身柄拘束されなかったので中国人である事が容易に分かる。

⑨.衡陽市の医師不足、衛生問題の観点より、医師である藤井治氏が釈放されるが、常に人民解放軍からの監視を受け続ける生活となる。
⑩.1972年、日中国交正常化。
⑪.1972年11月17日、藤井治氏が山口県防府市役所に生存を知らせる手紙を送付。

⑫.そこで初めて日本の家族(藤井治氏の親兄弟など)は、藤井治氏が戦後も中国で生存していることを知る。

藤井一良氏が公開したYouTube動画「藤井一良の出生について「学徒出陣50年」蘇る”わだつみ”-戦後なき学徒兵の秘話- 後半」のナレーションでは「藤井さんの生家は戦後も一貫して息子の生存を信じ、死亡届の提出を拒んできた、山口県内唯一の家庭だった。」とあるように、家族以外(日本政府も)は藤井治氏は戦争で死んだと思っていたのが分かる。

⑬.1979年10月、日本政府機関の尽力により藤井治氏は日本に約30年ぶりに一時帰国
⑭.藤井治氏、中国に戻る。
(日本の家族は藤井治氏の日本への帰国、日本への永住を強く望んでいましたが、医師としての立場や当時の衡陽市の医療レベルや医師不足等の問題、母親の藤井八代乃さんの助言により衡陽市で医師として地元の皆様へ医療貢献する道を選ぶ。)
⑮.中国に戻った後、主に伝染病の研究とその治療に力を注ぎ、日本赤十字社と協同し、中国国内の疫病の撲滅に長年携わる。
⑯.1991年12月25日、藤井治氏 逝去
⑰.1991年12月27日、中国衡陽市において医療貢献をした日本人として市葬

医師として中国に残る道を選んだ祖父治でしたが、生前の祖父治の何よりも強い願いは、家族全員の日本への帰国でした。
日本人として何不自由ない裕福な家庭に生まれながらも、中国人として生きざるを得なかった祖父治と、そのために中国国籍に入らざるを得なかった私の父と私を、日本に連れて帰国したい、というのが祖父治の願いでした。
そして、私達家族の帰国の実現は、日本で祖父治の帰りを待っていた家族の強い願いでもありました。
その後、私共、つまり、治の残された家族は祖父治の意思を引き継ぎ、日本へ帰国、帰化します。
その際には、日本の外務省、大使館、法務省等の関係者の方々が、残留邦人の引き揚げ事業として適切にお手続きしてくださっております。
(装飾以外、原文ママ)

ここから解説

上記の文章には「その後」とあるので、藤井治氏の市葬が行われた1991年12月27日以降に日本へ帰国、帰化している。
そして、その際は「日本の外務省、大使館、法務省等の関係者の方々が、残留邦人の引き揚げ事業として適切にお手続き」と書いてあり、恐らく当時の日本政府による特別措置で帰化(日本の戸籍取得)できたことが分かる。

それが、以下の記事で公開している訴状の写しにある、深田萌絵(Revatron株式会社 代表取締役 浅田麻衣子)氏と藤井一良氏との裁判で、深田萌絵(Revatron株式会社 代表取締役 浅田麻衣子)氏が提出した藤井一良氏、父親、藤井一良氏の戸籍の内容から推察できる。

証拠説明書
1 平成25年(ヨ)3466号事件 写し 平成25年11月1日 被告が決定を出した仮差押え事件の事実がある証拠。
2 藤井一良の戸籍 写し 藤井が昭和59年生まれで、出生後3カ月以内に届けられなければならない出生届が平成6年に出生届が届けられた事実がある証拠。
3 藤井健夫の戸籍 写し 申立人藤井父が昭和28年生まれで、出生後3カ月以内に届けられなければならない出生届が平成6年に出生届が届けられた事実がある証拠。
4 藤井健夫の中国の戸籍 写し 申立人藤井父の中国の戸籍では中国人である証拠。
5 藤井治の戸籍 写し 申立人藤井の祖父は平成三年に死亡しているにもかかわらず、平成五年に婚姻届けが出されて、その一か月後に藤井父の出生届が出された事実がある証拠。

【藤井の祖父は平成三年に死亡】
「⑯.1991年12月25日、藤井治氏 逝去」と一致する。
当然、藤井治氏は日本人であるから戸籍がある。

【平成五年に婚姻届けが出され】
平成5年は1993年、当然ながら先に藤井治氏と結婚をした妻(藤井一良氏の祖母である中国人女性)との婚姻届けを出さないと、余計におかしい話になる。

【藤井一良・藤井健夫は平成6年に出生届が届けられた】
平成6年は1994年。以下の記事にある父親の藤井健夫(中国名 吴(呉)也凡)氏のBaidu百科を見ると、1994年3月から日本にいるので一致する。

これが、藤井一良氏の言う

医師として中国に残る道を選んだ祖父治でしたが、生前の祖父治の何よりも強い願いは、家族全員の日本への帰国でした。
日本人として何不自由ない裕福な家庭に生まれながらも、中国人として生きざるを得なかった祖父治と、そのために中国国籍に入らざるを得なかった私の父と私を、日本に連れて帰国したい、というのが祖父治の願いでした。
そして、私達家族の帰国の実現は、日本で祖父治の帰りを待っていた家族の強い願いでもありました。
その後、私共、つまり、治の残された家族は祖父治の意思を引き継ぎ、日本へ帰国、帰化します。
その際には、日本の外務省、大使館、法務省等の関係者の方々が、残留邦人の引き揚げ事業として適切にお手続きしてくださっております。
(装飾以外、原文ママ)

部分なのだろう。

今、深田萌絵(Revatron株式会社 代表取締役 浅田麻衣子)氏は必死になって今まで発信した内容がデマではないことを、デマで肉付けして言い訳しているが以下の記事を見れば、彼女が発信する内容が嘘である事が馬鹿でも分かるだろう。

また過去、深田萌絵(Revatron株式会社 代表取締役 浅田麻衣子)氏は自身の公式ブログで、藤井一良氏と父親の中国の戸籍を晒して、父親の戸籍に「呉健華(藤井治氏の中国名)」があるので、藤井一良氏を、スパイ・背乗りとして、Facebookでもこのように投稿していた。

そして、自身の直近のブログ記事「動画「藤井一良出生について」の反論1 (219)」ではこのように記載されている。

嘘に嘘を重ねて、自分でも何が何だか分からないでいるのだろう。
見苦しすぎる。

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コメント

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    • 通りすがり

    松岡様
    貴重な情報とタイムリーな更新ありがとうございます。
    いつもドキドキして拝読させていただいています。
    梅雨入りし天候が不安定な時期が続いておりますが、お体にご自愛くださいません。

    • 匿名

    松岡さん、萌絵たん親衛隊との「戸籍が本物か?」バトルお疲れ様ですw
    維新嫌いの自分から見ても萌絵たん側が異常なのはハッキリしてるんですが、
    萌絵たん親衛隊は何を見てるんでしょうねぇ…w

    藤井氏本人は「呉思国と藤井一良は同一人物、藤井治(中国名 呉建華)の孫」と言っていて、
    更にその経緯も明らかにし、それを証明する動画も出しているので、
    萌絵たんやそれに追随する萌絵たん親衛隊が「藤井氏と呉思国が別人だ!」と
    言っているのであれば、【挙証責任】は萌絵たんにあります。

    何故、「ダブスタ」だのと言った単語を出してまで
    【挙証責任】を藤井氏になすりつけてるんでしょうね?w
    モリカケ騒動の時の「総理のご意向メモ」を作成した牧野(当時)課長補佐と論理が一緒ですよw

    そんな萌絵たんや萌絵たん親衛隊には特区WG委員の原英史氏のありがた~い言葉を送ります。

    『挙証責任がひっくり返っている』

    「藤井一良と呉思国は別人」とするのであれば、その挙証責任は萌絵たんにあります。
    これに対して藤井氏本人や松岡さんが反論している事に対して
    「証明しろ」という理屈は通りません。萌絵たんが【挙証責任】を果たせば良いだけなので。
    萌絵たんが「藤井一良と呉思国は別人である」と裁判所すら納得するような証拠を出せば解決ですw

    要は加計学園問題と全く一緒の事を萌絵たん側が行い、親衛隊は疑惑でもなんでも無いことを
    「疑惑だー!藤井とその擁護者は疑惑じゃない事を証明しろー!」と言ってる訳ですねw

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